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院長からのご挨拶

歯並びや咬み合わせで悩んでいる方は、ぜひお気軽にえんどう矯正歯科まで足を運んでください。

治療方法には様々ありますが、削って直す治療法は歯の持ちが悪くなりますので、長期的な視点から矯正治療をお勧めします。

えんどう矯正歯科では、スタッフ全員が患者さまを家族のように慕い、患者さま中心の最適な医療を提供することを心がけています。ぜひ、えんどう矯正歯科を活用してください。

えんどう矯正歯科の設立までの道のり

幼少期の思い出が、すべての始まりでした。

私の母は自宅兼診療所で歯医者をしておりました。母は非常に忙しい生活が続いていたため、私と遊ぶ時間もなかなか取れず、幼少期から非常にさびしい思いをしてきました。

そんな私にとって診療所内の技工室が家の中での主な遊び場という、一般的な家庭とは少し違った家庭環境の中で私は過ごしてきました。技工室には歯科用機器、材料が置いてあるのですが当時の私にとってはすべてがおもちゃみたいなものでそれらを使って物を作ったりしてよく遊んでいました。

職業を選択する際に、取り分け、やりたいことはありませんでした。当時、世間や私の周りにいた友人たちはみんなサラリーマンになることが普通であった時代でしたがその進路について私は少々違和感を感じていたのを覚えています。

私は以前から音楽が好きだったため、職業として音楽家を選択肢の一つに考えた時期もありました。ところが、やはり現実的な生活の安定を考えた時に、その道に進むことを諦めました。そして、真剣に職業について考えた時に、幼少期の思い出が思いおこされました。

その幼少期の思い出に強く影響されて、私は歯医者を職業として選択しました。とはいえ当時は、まだ患者様のお口の中についての関心はそれほどありませんでした。

自分の歯を最大限に生かせる矯正治療に感動しました。

歯医者の道に進む決心がついて歯科大学に通うことになりました。はじめに歯科矯正というものを意識したきっかけは咬合学という講義でした。当時の歯科大学の講義は、カリキュラムの統一性がほとんどなく、細分化された講義を通して治療方法をたくさん学ぶものでした。

ところが、総合学的な学問としての咬合学に出会い、今までばらばらに受けていた講義のパズルが自分の中で系統的に組み立てられていくことに非常に感動したことを今でも鮮明に覚えています。しかし咬合学の基本となる講義内容は入れ歯を前提としたものでした。

そのため自分の中では咬合とは入れ歯を口腔内で安定した位置に収めるための学問であると結論付けていました。その後、大学の先輩先生とお話しする機会があり、矯正学にも咬合があることを知りました。さらに、矯正治療の良いところは、自分の歯を使って新たなかみ合わせを作るので自分の歯を最大限に生かすことができる点にあるとその先輩から教えて頂きました。

ちょうどその頃、補綴(入れ歯)はリハビリ(穴埋め)的な治療であって、自分が目指す方向性とのズレを感じていたため、矯正治療の歯医者になることを決意しました。ところが学生時代には、矯正治療の勉強はほとんどできませんでしたが、目的意識(骨格が歯にどういう影響をあたえるのか、この人はどうかなど)を持って学びだすと、知識欲や興味がどんどんと湧いてきて、卒後現在まで様々な勉強をしてきました。

多忙な勤務医時代や開業時の苦労を支えてくれたもの。

勤務医時代は、印象(かたどり)から技工(矯正装置を作る)まで、すべての業務に携わってきました。それに加えて、症例分析、症例報告もすべての症例について行っていましたので常に忙しい日々を過ごしてきました。ところが、ある時期にどうしても治らない症例に出会いました。

その問題と直面して、様々な観点から解決へのアプローチを行った結果、その問題解決のポイントは矯正のゴムかけだと気づきました。当時は、歯医者から指示されたとおりにゴムかけをしていない患者さんが多かったので顎間関連の治療が奏功しないケースが多々ありました。

勤務医時代を経て、えんどう矯正歯科の開業を決意しましたが、まず開業地の選択をするために地図や電話帳などを使って人口数や他医院の開業状況などの様々なリサーチを行いました。その当時は、二俣川圏内周辺に矯正専門医院がなかったこともあり、二俣川での開業を決意しました。横浜市旭区二俣川で開業することになりましたが、開業して最初の3カ月は患者様がご来院されず、大変苦労しました。

そこで、私は大学時代にはほとんどやってこなかった舌側矯正装置の勉強や大学の教授のセミナーへの参加、矯正学会、地方学会、日本矯正歯科学会、東京矯正歯科学会、基礎学会などの会合に積極的に参加して研鑽を重ねました。多くの苦労と直面しながらも、私の心に勇気を与え希望の灯をともしてくれたのはいつも患者様でした。私を立派な矯正の歯医者に育ててくれたのは決して座学ではなく、患者さまの喜ぶ顔が見たいという思いだと、私は考えています。